キネマの文學誌
B5判変形/上製/本文174頁
装丁=高林昭太
発行日:2006/12/28
定価:4700円+税
ISBN978-4-88032-280-6
齋藤愼爾編
全目次―彼らは何を観たのか
1908-1944
石川啄木 明治四十一年の日誌より
夏目漱石 日記より
芥川龍之介 『チャップリン』其他―読んだ物見た物
谷崎潤一郎 「カリガリ博士」を見る
佐藤春夫 「カリガリ博士」
横光利一 日輪挿話
山本周五郎 「青べか日記」より
岡本かの子 映画「マノン・レスコオ」を観る
萩原朔太郎 アツシヤー家の末裔を観る
川端康成 「淪落の女の日記」を見る
牧野信一 「淪落の女の日記」
尾崎 翠 時のもの、そのほか―映画漫想より
堀口大學 文学の見地から見た『モロッコ』
寺田寅彦 映画雑感
室生犀星 『人生劇場』の鬼ども
岡本かの子 女人哀愁
保田與重郎 活動写真
内田百閒 映画と想像力
井伏鱒二 試写見物―映画『多甚古村
小林秀雄 オリムピア
太宰 治 弱者の糧
1945-1959
志賀直哉 「長屋紳士録」をみる
志賀直哉 「第七のヴェール」と「旅路の果て」
梅崎春生 映画「硫黄島の砂」をみて
北原武夫 『情婦マノン』を見る
小林秀雄 「天井桟敷の人々」を見て
石川 淳 フィルムあれこれ
坂口安吾 ヘプバーンと自転車―桐生通信より
吉川幸次郎 楊貴妃
石原慎太郎 「理由なき反抗」をみて
黒田喜夫 戦後主体とレジスタンス―映画「抵抗」と「地下水道」のあいだ
井上 靖 「ピクニック」を観る
荒 正人 空想科学映画論
花田清輝 追っかけの魅力
椎名麟三 「道」
中野重治 「明治天皇」と「マリュートカ」
永井荷風 『断腸亭日乘』より
江戸川乱歩 細かい技巧に感心―「情婦」評
安部公房 砂漠の思想―『眼には眼を
志賀直哉 映画推薦―各新聞の公告などに揚げられた各種の推薦文
江藤 淳 今日の英国をうかがわせる『年上の女』
大西巨人 映画『尼僧物語』について
橋川文三 ぼくらの中の生と死
辻まこと 十二人の怒れる男
永井荷風先生 映画ゾラの『女優ナナ』を語る
〈附記〉荷風文学の映画化「渡り鳥いつ帰る」講義
1960-1969
尾崎士郎 放談
野間 宏 「野火」の問題
石上玄一郎 『情事の終り』
瀧口修造 フランジユの周辺
高見 順 「チャップリンの独裁者」を見る
山川方夫 目的をもたない意志―マルグリット・デュラスの個性
島尾敏雄 フェリーニのおののき
藤枝静男 映画の想い出
大彿次郎 映画『帰郷』
井上光晴 『チェルカッシ』と『アメリカ・アメリカ』
佐多稲子 記憶喪失は誰なのか―〈かくも長き不在〉の発見
澁澤龍彦 黒い血の衝撃―三島由紀夫『憂国』を見て
竹西寛子 ミュージカル映画
天沢退二郎 『けんかえれじい』評
安西冬衛 映画と生活―「猟銃」の周辺で
大岡 信 「雨のしのび逢い」(モデラート・カンタービレ)
松本清張 スリラー映画
埴谷雄高 事実の内的過程―『ワルソー・ゲットー』
福永武彦 「太陽はひとりぼつち」と内面的風景
倉橋由美子 スクリーンのまえのひとりの女性
大西巨人 映画『陸軍残虐物語』について
安岡章太郎 郷愁の《(<)新世界(アメリカ)》―「アメリカ・アメリカ」
武田泰淳 古典とはなにか
飯島耕一 『情事』―ミケランジェロ・アントニオーニ
桶谷秀昭 純粋戦中派の憤怒
種村季弘 怪奇映画の早すぎた埋葬―中川信夫『東海道四谷怪談』再見
磯田光一 剥製人間蒐集の志―映画『黒蜥蜴』について
瀬戸内寂聴 幻の美女たち
北川 透 風土の内側からの眼―映画『三里塚の夏』批判
長部日出雄 「私が棄てた女」論―この映画の一般公開を日活に切望する
司馬遼太郎 武市半平太―映画「人斬り」で思うこと
秋山 清 『エロス+虐殺』についての随筆的感想
一〇〇パーセント映画狂―山本周五郎+武田泰淳(聞く人=尾崎宏次)
1970-1984
谷川俊太郎 静けさ―ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』
澁澤龍彦 現代の寓話―パゾリーニ『テオレマ』を見て
三島由紀夫 性的変質から政治的変質へ―「地獄に堕ちた勇者ども」をめぐつて
吉増剛造 お竜さん、雪のかけ橋
出口裕弘 パゾリーニ『アラビアンナイト』
寺山修司 多羅尾伴内はなぜ片眼をかくしたか
石牟礼道子 生類共生の世界―映画『不知火海』上映に寄せて
五木寛之 男だけの政治映画―『ローマに散る』
宇野千代 或る日記(抄)
長谷川四郎 『惑星ソラリス』はソ連のオカルト映画か
幸田 文 しっぽ―『キタキツネ物語』
野呂邦暢 田舎司祭の日記
辻 邦生 ギリシアの風 ギリシアの雪
森 茉莉 『太陽を盗んだ男』
中井英夫 偏愛的俳優(スタア)列伝―光と影の彼方に
池波正太郎 人情紙風船
小川国夫 川竹の女
池澤夏樹 ミラノの現実―『若者のすへて』
松浦理英子 〈生涯一美少女〉ジェーン・バーキン
鮎川信夫 ダーティハリーの勝利
清岡卓行 「我等の仲間」を見る
1985-2000
宮尾登美子 原作者の感慨―『擢』
四方田犬彦 エリセ『ミツバチのささやき』
吉岡 実 ロマン・ポルノ映画雑感
大岡昇平 「ルイズ」から「ルイーズ」へ
吉本隆明 「それから」という映画
久世光彦 世紀末家具店
北 杜夫 怪獣映画
色川武大 勝手にしやがれ―ヌーヴェルヴァーグの傑作
中上健次 紅いコーリャン―張芸謀監督の衝撃的傑作
関川夏央 増村保造と三島由紀夫
塚本邦雄 幻の花売娘
塩野七生 地中海
田中小実昌 私の好きな映画ベスト5
中村 稔 私の好きな映画ベスト5
須賀敦子 麦畑のなかの赤いケシの花―「眺めのいい部屋」
「サン・ロレンツォの夜」
吉本ばなな ショーシャンクの空に
白洲正子 天女の舞
阿部和重 北野武『ソナチネ』と『キッズ・リターン』―回転する二つの車輪
川本三郎 死の映画『タイタニック』
「編集余滴」から(編者・齋藤愼爾、一部抜粋)
「写真」が「動く」……百聞不如一見とは、およそ事古りたる諺だが、私の生涯を通じてこれ程的確に、この文句がピンときた実例は滅多にない。 ――『自伝夢聲漫筆』徳川夢聲
リュミエール兄弟が発明した撮影・映写機で特許を取得したのは一八九五年二月十三日で、当初の名称は「映写式キネトスコープ」だったが、ほどなく「シネマトグラフ」に変えられた。同年三月二十二日に専門家を対象にしたアカデミックな上映会を開いたあと、十二月二十八日、オペラ座近く、キャプシーヌ大通り十四番地にあるグラン・カフェ地下のインド風サロンで、世界で初めて一般に公開された(内藤誠『映画百年の事件簿』を参照)。
(中略)
本書はわが国に映画が入ってきた明治中葉から平成までのおよそ百年の文学史、映画史を縦貫させた初の〈キネマの文學誌〉である。作家による映画評論、随筆ばかりでなく、日記、対談、インタビュー記事も収載した。いわば明治・大正・昭和・平成四代の〈近現代日本の精神史〉もしくは〈近現代日本の大衆文化史〉とも呼べるものである。
資料は集められ早々と刊行を予告したものの、発行に至るまで六年もの歳月を閲した。出版費用が儘ならなかったとはいえ痛恨の無為の六年間だったと、ついこんな場所でも愚痴をこぼしたくなる。申し訳ない。各作家の数ある評論からどの映画評論を選ぶべきか、最も苦慮したといおうか。一作家一篇の方針で臨んだが、例外が二、三ある。澁澤龍彦氏の場合、三島由紀夫原作『憂国』を論じた批評が他になかった。二人の友情を考えても、この映画に関する批評文は落としたくない。澁澤氏はサド原作の映画を数多く批評しているが敢えて選ばなかった。配合(取り合わせ)が月並みといわれそうだが、岡本かの子の『マノン・レスコオ』や萩原朔太郎の『アッシャー家の没落』は、これしか無いのである。偶然にしても快哉を叫びたくなる配合ではないだろうか。同じ映画を複数の作家が論評した場合など、作家の営為を勘案して決定した。その間のことを書けば一冊の書き下ろしになる(編者の映画の好みを少し出し過ぎたかもしれないという反省がある)。
梶井基次郎は音楽会にはよく行っているのに、映画館に出向いた形跡がない。江藤淳氏の著書には映画への言及がいっさいない。諦めかけて、ふと山積していた雑誌から抜き出したのが「中央公論」誌。江藤氏の映画評があるではないか。しかもその映画『年上の女』の原作は怒れる若者の世代のジョン・ブレインとは! 時代の表情は確実に刻印されている。
(後略)