句集 七 耀
B5判変形/上製/本文228頁
装丁=吉本多子
発行日:2003/3/30
発行所=七耀企画
発行者=吉本多子・
吉本真秀子
発売元=深夜叢書社
定価:2800円+税
ISBN978-4-88032-255-5
吉本和子著
吉本和子(よしもと・かずこ)プロフィール
1927年4月、東京生まれ。2012年10月、老衰で死去。詩人・思想家の吉本隆明氏の妻。1946年、東京第一師範学校本科卒。57年、吉本氏と結婚入籍。96年ころから齋藤愼爾・宗田安正両氏らの勧めで「秋桜」(コスモ石油発行)に俳句を発表し始める。98年、「秋桜」掲載句を中心に、第1句集『寒冷前線』上梓(深夜叢書社刊)。発行所「七耀企画」の発行者名「吉本多子・吉本真秀子」は、長女(漫画家・ハルノ宵子)、次女(作家・よしもとばなな)。
「あとがき」より(抜粋)
一九九八年秋、深夜叢書社と友人達の好意によって句集『寒冷前線』の出版を得た。以来四年、そろそろ第二句集をとの話が出て来たとき、自分たちが発行人になろうと子供たちが言ってくれた小さな、しかし私にとっては大きな存在である同人誌「秋桜」に、毎月十句ずつ出稿してきた句を数えたら、五百句になっていて驚いた。晩年が近づくにつれて、歳月は風のように疾く過ぎ、七曜は一瞬の間に去って行くが、その分、日常の中で出会う悲喜は宝石のように光り、風景も時には恩恵のように輝く。そのような刻々を、心象の形に重ねて切り取る事ができたらと願うのだが果たせない。
(中略)
そして最後にこの本の発行人となり、装丁、帯の文などに力を注いでくれた娘多子、真秀子ほんとうにありがとう。
「彼岸の美学―『七耀』雑感」(「解説」=齋藤愼爾より抜粋)
『七耀』を読んで、しばしば胸の奥処を去来したのは。ルネ・シャールが自著の扉に付した「私は誓って言うが、これは全部なつかしくも本当にあったことで」というエピグラムである。このエピグラムがいま『七耀』の扉に附されてあったとしても私は何ら違和を覚えない。ここにこそ相応しいとさえ思う。『七耀』 の俳句はもとより吉本和子さんの日々の暮らしの深みから詩情を掬いとり作句したもので、すべて本当にあったことであろう。その暮らしもおそらく普通の市井人のそれで、何ら変わったものではないことを(その一端にせよ)私たちは知っている。にも拘らず、これらの一句一句に接すると、私たちは何も見ていなかったということを知らされ愕然となる。同じ日常の空間を目にしていながら、吉本和子さんの目がおよんだ途端、日常の物は変化しまるで別の異貌の点景を現出させる。それでいて私たちは自分の奥深い魂の故郷を呼び起こされるような既視感(デジャ・ビュ)とでもいった郷愁をも覚える。一句一句のもつ佇まいは、萩原朔太郎が蕪村詩に見た〈時間の遠い彼岸における、心の故郷に対する追懐〉のように思われてくる。
(中略)
『七耀』に揺曳する生の哀しさ、切なさ、喜び、花や樹や烏や猫に寄せる愛情は、その暖かい眼ざしで魂の形をさぐりつづけてきた孤独な自己流謫者だけが発見できるものである。
緋毛氈にて覆われし雛の闇
戸を立てて異なる世へと雛納む
曲水流觴の韻事、つまり桃の節句に水辺に出て災厄を払うという中国の曲水の宴から雛遊びの風習が起こって今日まで、「雛祭」の句の数は天文学的な数字になろう。しかし掲句のように雛をみつめた句と出会うことはまずない。普通には漆黒の闇が緋毛氈を覆っていると感受するものであろうが、ここでは深紅が暗黒に勝っている。真赤な緋毛氈が闇を覆っているという魔の世界の現出。単なる光のない闇と「雛の闇」とは別のものなのだ。もともと異界にある雛を納めるため、異界は重層化し、恐怖の詩としての一句を屹立せしめることになる。ここには遥か孤独な少女期の時間にまで湖行を促す存在のかなしみ、喪失感がある。幻を見ることにおいて、幻想の核を刹那に把握することにおいて、著者は橋本多佳子とも三橋鷹女とも異なる。中尾寿美子、柿本多映ら海市に棲む幻視者の系譜に繋がる。幻視とは見神の謂でもある。
(以下、「解説」での掲句のみ掲載)
うすうすと鳥引く夕を常世とも
春眠や舟遠出して着けぬ岸
心太わが幾山河も映りいて
喋あまた群るる夢なか吾も喋
花冷えや胸に冷たき石抱きて
烏帰る吾に鳥なき空を残し
故里を持たねば帰雁見遣るのみ
長編の世を閉じこの世に更衣
老鶯居て日々詩のような時流れ
蚊帳くぐり異界おそれし幼年期
桃買いに黄泉の比良坂下りいる
吸い椀に白魚しろくあるは哀し
春の鬱闇はいつでも後ろから
初蝶を目で追う白き微熱くる
死にいそぐ桜あわれと人の出る
大切な人亡き世にも桜咲く
吾と吾の影がずれゆく朧月
晩春の重き水なり手に受くる
人の背の悲しき日なり薔薇を剪る
火の外の闇へ舟漕ぐ薪能
髪洗う目裏よぎる花電車
気管支にジンタが通り梅雨ふかし
破れ易き紙なり金魚ひとつ追う
短夜の夢のつづきは次の世に
大銀河生死は星の一瑣末
コスモスの背き合いつつみなやさし
去年の鵯来たりて告げり山は雪
それぞれの部屋に独りや夜寒し
肺胞のひとつひとつに秋の風
石蕗咲いて夢の川原の淋しきこと