黒田杏子の俳句(櫻・螢・巡禮)

黒田杏子の俳句

四六判上製カバー装
発行日:2022/8/10
本文524頁
装幀=高林昭太
定価:3000円+税
ISBN978-4-88032-471-5

髙田正子著

髙田正子(たかだ・まさこ)プロフィール

1959年、岐阜県岐阜市生まれ。東京大学で「作句演習」なる全学ゼミを履修したのが作句の始まり。1990年、黒田杏子の「藍生」創刊に参加。1997年、藍生賞受賞。
句集に『玩具』(1994年・牧羊社)、『花実』(2005年・ふらんす堂/第29回俳人協会新人賞受賞)、『青麗』(2014年・角川学芸出版/第3回星野立子賞受賞)。
エッセイ集に『子どもの一句』(2010年・ふらんす堂)がある。

オビ

遊行する精神
その句業の全軌跡

杏子のエッセイや先達の名句を自在に抽きながら、テーマ別に杏子俳句の背景を探索し、
作品の魅力を緻密に、そしてスリリングに読み解く。

「俳句に夢中になり ひたすら打ち込み この国を駆け巡った頃から 今日に至るまでの
黒田杏子の俳句作品に 再見が叶いました 
髙田正子さんの友情と 力業に感謝を捧げます」(黒田杏子)

目次(略記)

第Ⅰ章 黒田杏子の十二か月
 〔一月〕正月 〔二月〕野の花(一) 〔三月〕雛 〔四月〕朧 〔五月〕牡丹
 〔六月〕螢(一)・螢(二) 〔七月〕涼し・青 〔八月〕八月・花火
 〔九月〕虫・野の花(二) 〔十月〕稲妻・木の実;草の実
 〔十一月〕小春・野の花(三) 〔十二月〕十二月・都鳥
第Ⅱ章 黒田杏子の〈櫻〉
  花を待つ 花の闇 花惜しむ 花巡る
第Ⅲ章 黒田杏子の〈月〉
  夏の月 月 後の月 冬の月
第Ⅳ章 黒田杏子の〈家族〉
  〈父〉〈母〉一覧と概観 ちちはは 母 父 ふたり

あとがき

始まりは
 今から足かけ四年前、二〇一八年の十月であったか、主宰から「藍生」誌への連載を促された。「テーマは何でもよい。考えておいて」と。そのときフラッシュバックしたのが、藍生賞を受けた日のことだ。賞は貰いっぱなしではいけない、何かテーマを定めて書くように。確かにそういわれていたのだったが。
 忘れていたわけではない。受賞は一九九七年のことだから、なんと四半世紀もの間、愚図愚図していた勘定になる。その間に韋駄天の主宰は膨大な仕事を成し遂げ、私は古参の会員となった。

作品本意で書く
「新しい会員の中には、主宰の昔の俳句を知らない方がおられるかもしれません。初めて知る人がいることを前提に、主宰の俳句をテーマに書くというのはどうでしょう」「いいでしょう。その代わり一切忖度せずに書いてください」。
 一切忖度せずに。これが次の課題となった。そういえば誰かが、生きている人の評伝は書くなといっていたなあと不意に思い出したりもした。そして思いついた。作品の誕生譚は尋ねなければ書けないが、誕生後の作品、更にはその構成要素である単語レベルまで降りていけば客観性が得られるのではないかと。
 膨大なエッセイも宝の山だった。私もエッセイを書く者のひとりとして、一文の後ろに虚も実も存在することを知っている。日記やメモとは異なる。だが、文字となって連なり出た瞬間、それらはこの世に刻みつけられた真となるのだ。
「一月号から始めればキリがいいわね」。急展開に慌てふためきながら、試し書きをレターパックに突っ込んだのが十一月半ば。折り返し電話がかかってきて「これでやって」。あとは怒濤の日々であった。

籠もって書く
 最初の一年は、気になっていた季語を掲載の季節とリンクさせながら分類していった。〈雛〉のときには主宰から吉德の資料の提供を受け、「まとめて全体に目を通す」ことの楽しさに気づくことができた。役得である。そうこうするうちに、作品に折々登場なさるご両親のことが気になり始めた。二年目のテーマを「ちちはは」に定めたのはそうした経緯であったが、一月号から五月号までの五箇月に及ぶことになるとは思いもしなかった。終了時期を定められていない気楽さがあったとはいえ、この無計画性には呆れる。
 後半は新型コロナ禍の外出自粛期間と重なり、ひたすら黙々と書き継ぐことになった。電話もファックスも郵便もあるし、ネット検索でたちどころに判明することも多く、困ったことはあまり無い。そうでなかったら違う形になった可能性はあるが、籠もって書くと割り切ることができて良かったと思う。いや、思うほかはあるまい。

まだ終わらない
 連載は主宰の次の句集ができるまで、といつのころよりか終わりが見えてきたが、『証言昭和の俳句』の増補新装版が優先され、句集の刊行は延期された。つられて連載もそのまま三年目に突入し、おかげで先延ばしにしていた〈花〉と〈月〉に取り組むことができた。花や月の季語が時系列に沿って、また季節やジャンルをまたがって遍く存在することを知ってはいたが、〈月を待つ〉とは、〈花を惜しむ〉とは、とこれほど考えたことは無い。
 連載は「藍生」の仲間に同意や異見を求める心持ちで書いた。書籍にするにあたっては客観的に、いや、書く対象が特化されているのだから、そもそもが客観的ではない。だが「藍生」を知らない方にも判るようにしたいと願った。いちばんの難題であったかもしれない。
 今、私はすべての人に感謝を捧げたい心持ちである。

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