句集 いちまいの皮膚のいろはに

句集 ひとり

四六判並製カバー装
発行日:2017/6/30
本文84ページ
装丁=高林昭太
定価:1200円+税
ISBN978-4-88032-437-1

原 満三寿著

原 満三寿(はら・まさじ)プロフィール

1940年、北海道夕張生まれ。埼玉県川口市在住。句集・詩集・論考ほか著作多数。
【俳句関係】「海程」「炎帝」「ゴリラ」「DA句会」を経て、無所属。
  句集=『日本塵』(青娥書房)、『流体めぐり』『ひとりのデュオ』
     (以上、深夜叢書社)
  俳論=『いまどきの俳句』(沖積舎)
【詩関係】第二次「あいなめ」「騒」を経て、無所属。
  詩集=『魚族の前に』(蒼龍社)、『かわたれの彼は誰』『海馬村巡礼譚』
     (以上、青娥書房)、『臭人臭木』『タンの譚の舌の嘆の潭』『水の穴』
     (以上、思潮社)、『白骨を生きる』(深夜叢書社)、『続・海馬村巡礼譚』
     『四季の感情』(以上、未刊詩集)
【金子光晴著作関係】
  評伝=『評伝 金子光晴』(北溟社、第2回山本健吉文学賞)
  書誌=『金子光晴』(日外アソシエーツ)
  編著=『新潮文学アルバム45 金子光晴』(新潮社)
  資料=「原満三寿蒐集 金子光晴コレクション」(神奈川近代文学館蔵)

オビ(表)

旅人に
いちまいの皮膚
くれのこる

孤独がもたらす寂しさこそが、人間はもとより山川草木など悉皆への大きな親和性として情動するように思われるのです。それが、漂泊や放浪や 〈ゆきてかえるこころ〉につながる情なのかもしれません。
そんな含意を〈いちまいの皮膚〉と暗喩してみたのです。    (「あとがき」より)

オビ(裏) 著者による深夜叢書社既刊の3著作

句集=『流体めぐり』 独往の詩人が開示する新しい俳諧のかたち。
   『ひとりのデュオ』 異端の〈俳諧師〉による俳句二重奏。
詩集=『白骨を生きる』 大震災によって死んだ人々の魂はどこにあるのか。だれもが
   白骨と化した世界に幻出する供花の詩篇。

あとがき

 この歳になりますと、多くの人たちの他界を見送ることになります。とりわけ、詩や俳句を共にした人たちとの別れには、別れるために遭ったような特別の感慨があります。
 その根源には、孤独ということの深い意味があるよう思われるのです。いろいろな柵を越えた、未知の世界が横たわっているように思われるのです。孤独に徹せよ、という裡なる声が聞こえます。
 どうやらその孤独とは、人と隔絶した孤高(そんなものある?)でも、 隠遁、 隠棲でもないようなのです。
 「折々のことば」(朝日新聞、鷲田清一)の「選んだ孤独はよい孤独」は、「ロンリネス(ひとりぼっちの寂しさ)とソリチュード(孤独)とはまったく別のものである」、といいます。ソリチュードは、ロンリネスから寂しさを抜き去ったものに近いらしいのですが、私の孤独とはどうも違うようです。
 また、五木寛之『孤独力』でいう、「孤独は、来る人拒まずだが、独りでいることを悲しいともつらいとも思わない。「独立自尊」という言葉に近いものであろう」、とも違います。
 また、タオイストの加島祥造さんが晩年にTVでいった 「Alone, but not lonely」とも違うようです。
 わたしの内心が言う孤独は、寂しさ(侘び・寂びの寂びでない)が基層にあるようなのです。一般の人たちに勧める孤独には寂しさ、つらさは無いほうがいいのでしょうが、すべからく創作を志すものにとっては、孤独の寂しさこそ豊穣なエナジーであろうと思うからです。
 金子光晴も、「この国では、さびしさ丈がいつも新鮮だ」(「寂しさの歌」)といっています。
 孤独がもたらす寂しさこそが、人間はもとより山川草木など悉皆への大きな親和性として情動するように思われるのです。それが、漂泊や放浪や〈ゆきてかえるこころ〉につながる情なのかもしれません。そんな含意を〈いちまいの皮膚〉と暗喩してみたのです。
(以下略、齋藤愼爾筆の「跋」略)

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