わらしべ集

わらしべ集合冊ケース   〔合冊のケース〕

わらしべ集【乾の巻】=右のブルーグレイ
【坤の巻】=左のワイン色

四六判並製
2分冊セットケース入り
装丁=高林昭太
乾の巻:本文336頁
坤の巻:本文340頁
発行日:2016/9/27
定価:6500円+税
<分売不可>
ISBN978-4-88032-432-6

室井光広著

室井光広(むろい・みつひろ)プロフィール

小説家・文芸評論家(1994年、「おどるでく」で第111回芥川賞受賞)。
1955年、福島県南会津生まれ。早稲田大学政治経済学部中退、慶應義塾大学文学部哲学科卒業。
小説に、『猫又拾遺』(1994年、立風書房)、『おどるでく』(1994年、講談社)、『そして考』(1994年、文藝春秋)、『あとは野となれ』(1997年、講談社)。
文芸評論に、『零の力』(1988年、群像新人文学賞受賞、講談社)、『キルケゴールとアンデルセン』(2000年、講談社)、『カフカ入門――世界文学依存症』(2007年、東海大学出版会)、『ドン・キホーテ讃歌――世界文学練習帖』(2008年、東海大学出版会)、『プルースト逍遥』(2009年、五柳書院)、『柳田国男の話』(2014年、東海教育研究所)。
エッセー集に、『縄文の記憶』(1996年、紀伊國屋書店)。
訳書に、シェイマス・ヒーニー著『プリオキュペイションズ』(佐藤亨と共訳、国文社=北アイルランド出身のノーベル文学賞受賞詩人ヒーニーの第一評論集)などがある。

オビ(表のオビ文)

〈世界文学〉を追尋して
「日本語の本源」に思いを寄せた、
四半世紀にわたる文業を〈乾・坤〉二巻に集成
テキストの深奥へ分け入り, 言葉の地層を照射する, 論考+随想一〇二篇

〝誓わないでも信じていただけるだろう〟が、私は青草のシオリ変じた, ワラシベ集を、愉快で気のきいたものであれかしとその都度念願しながら書いた。しかし、〝道先案内になり迷子にもなる〟という宿業の資質にさからうことは不可能だったようである。
                              (「あとがき」抄)

オビ(裏のオビ文)

【乾の巻】論考を中心に
ワラシベ長者考――柳田国男『雪国の春』に寄せて/極私的ルネッサンス考――泥縄式古典論/闇を通って広野原――トレーン文学をめぐって/聴覚的想像力をめぐって――T・S・エリオット小考/プルートス詣で――ギリシア喜劇全集に寄せて/自由人を夢見て――『ドン・キホーテ』後篇刊行四百年に寄せて/言霊節考――深沢七郎論/寄物陳思という方法――三島由紀夫『中世・剣』を読む/太宰治の玉手箱――『晩年』について/ほか
【坤の巻】書評を中心に
シェイマス・ヒーニー/ボルヘス/フリオ・コルタサル/アレホ・カルペンティエル/イタロ・カルヴィーノ/ジェイムズ・ジョイス/マルセル・プルースト/バルガス = リョサ/ル・クレジオ/オクタビオ・パス/ミハイル・ブルガーコフ/大江健三郎/埴谷雄高/辻原 登/森 鷗外/川端康成/古井由吉/富岡多惠子/多和田葉子/小野正嗣/吉増剛造/井坂洋子/ほか

目次

【乾の巻】論考を中心に
ワラシベ長者考――柳田国男『雪国の春』に寄せて
『野草雑記・野鳥雑記』に寄せて
『孤猿随筆』に寄せて

極私的ルネッサンス考――泥縄式古典論
闇を通って広野原――トレーン文学をめぐって
聴覚的想像力をめぐって――T・S・エリオット小考
プルートス詣で――ギリシア喜劇全集に寄せて
自由人を夢見て――『ドン・キホーテ』後篇刊行四百年に寄せて

言霊節考――深沢七郎論
バサマのオガ――七郎さんを思う
寄物陳思という方法――三島由紀夫『中世・剣』を読む
太宰治の玉手箱――『晩年』について
〝孤島句〟のゆくえ――齋藤愼爾『永遠と一日』を遅れて読む

読み・書き・ソリチュード
精進用のコーヒー
〈翻訳家〉志願
肩書について
ヨミの国から
カナカナ蟬の鳴く風土
オイナシッポ考
 ほか

【坤の巻】論考を中心に
道先案内になり迷子にもなること――『シェイマス・ヒーニー全詩集 1966~1991』
作家案内 シェイマス・ヒーニー――『世界×現在×文学 作家ファイル』
族長の戦略――ボルヘス編『アルゼンチン短篇集』
板子一枚下の幻想――フリオ・コルタサル『すべての火は火』
時々の「逃げ場」――『オーデン詩集』
急場を凌ぐ幻想――アレホ・カルペンティエル『追跡』
里子に出た鬼子の日常――『ポール・マルドゥーンとの出会い』
読み書きソリチュード――エンリケ・アンデルソン = インベル『魔法の書』
シーニュとイマージュ――ミシェル・トゥルニエ『黄金のしずく』
縁側で――『ユリシーズのダブリン』
差異化された場所にこだわる言葉――新しい〈世界文学〉刊行に寄せて
遠さと近さ――イタロ・カルヴィーノ『なぜ古典を読むのか』
正しい背の向け方 その一――イタロ・カルヴィーノ『カルヴィーノの文学講義』
正しい背の向け方 その二――ヴィトルド・ゴンブローヴィチ『バカカイ』
プルーストとジョイス――二十世紀ブックレビュー
クラシック艦隊――マルセル・プルースト『失われた時を求めて』
生きいきと生息する矛盾――ハラルト・ヴァインリヒ『〈忘却〉の文学史』
非常階段と再試験――グリゴーリイ・チハルチシヴィリ『自殺の文学史』
文学への愛は隷従へと変わる――マリオ・バルガス=リョサ『若い小説家に宛てた手紙』
ウミサチとヤマサチ――ル・クレジオ『偶然』
自分を何よりもまず読者だと考えている文人――ボルヘス伝に寄せる三篇
オクタビオ三番勝負――オクタビオ・パス『鷲か太陽か?』
ファウスト的饗宴の系譜――ミハイル・ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』
詩小説の難所――インゲボルク・バッハマン『三十歳』
けぶりくらべ
めんどしい救済――大江健三郎『燃えあがる緑の木』三部作完結に寄せて
端をとらえる「横」の視線――埴谷雄高『死霊』九章刊行を機に
ヤマの名前――時評としての辻原登論
椋鳥主義あるいは混沌――森鷗外『椋鳥通信』
神話の娘――川端康成『眠れる美女』
聞こし召す本――古井由吉『陽気な夜まわり』
富岡多惠子試論
同じことなれども……――富岡多惠子『ひべるにあ島紀行』
あやしのアルキミコ――多和田葉子『ゴットハルト鉄道』
闇あがってくるもの――多和田葉子『ふたくちおとこ』
地母神ゼロの物語――多和田葉子『変身のためのオピウム』
月裏人からのオマージュ
語り部たちの再来――「女性作家シリーズ」に寄せて
ウラで待つ――小野正嗣『森のはずれで』
雑神のおつかい――吉増剛造『表紙 omote-gami』
充実と無常――井坂洋子『箱入豹』
アエ、トゼネノシ……
野に暮れるヤボ――井口時男『柳田国男と近代文学』
〈第一歩〉の受取り直し――井口時男句集『天來の獨樂』
目をかけてやった記憶もないのに……――三田文学学生創作セレクションに寄せて
〈噤みの森〉への遠足――平田詩織『歌う人』
孤独と幸福――平田詩織『歌う人』
 ほか

あとがき(後半の一部抜粋)

 私は栞文の類が好きだ。
 案内、手引きの意にもなる栞は、本来、山道などで目じるしのために木の枝を折り、草を結び、紙を結びつけなどして道しるべとした「枝折り」にちなむという。読みかけの本の間に挟まれたりするそれは、柳田国男の話に寄り添えば猫の尻尾みたいなもので、「あってもなくてもよい」存在に近い。枕草子ふうにさらに列挙すると――余計者、オマケあるいはオバケ……。
〝誓わないでも信じていただけるだろう”が、私は青草のシオリ変じたワラシベ集を、愉快で気のきいたものであれかしとその都度念願しながら書いた。しかし、〝道先案内になり迷子にもなる〃という宿業の資質にさからうことは不可能だったようである。

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